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富士吉田市立明見湖公園へようこそ!

富士山信仰の原点の一つ

①みそぎの場

明見湖は関東各地から富士山へ参詣する人々は、甲州街道から大月橋東詰めを起点とする富士道へ向かいます。この富士道は、近世までは谷村から小沼を通って、小明見へと続いており、明見湖は富士山参詣の人々が富士山登山の前に身を清める精進場の一つとなっていました。

​②葛飾北斎が愛した小明見村

富士越龍図

甲斐の名所の中でも富士山は東海道や江戸から望む富士に対して甲斐側の富士は「裏富士」と呼ばれ、明和4年(1767年)の河村岷雪『百富士』、北斎の『富嶽三十六景』、歌川広重の『不二三十六景』(嘉永5年(1852年))、広重の『富士三十六景』(安政5年(1858年))など多くの作品に描かれた。

北斎は寛政6年(1794年)頃に淋派の流れを組む俵屋宗理を襲名した頃に狂歌絵本や狂歌摺物で頭角を表し、名所の賑わいや人々の暮らしを描いており、すでにその中に風景描写として富士を描いている。

『富嶽三十六景』に先駆けて文政6年(1823年)には『今様櫛キン雛形』において様々な富士図を描いており、この頃から富士図の連作を構想していたと考えられている[12]。

また、30歳代から様々な画題・技法で描き続けた肉筆画においても富士を多く描き、絶筆に近い作品と言われる嘉永2年(1849年)の「富士越龍図」においては白峰の富士から黒雲の軌跡を残して昇っていく龍の姿を描いている。

<明見湖の蓮花>

 (そこには悲しい娘たちの物語があった)

明見村の子供たちが七八人あつまって、草履を片方づつぬいて道ばたへ並べ一人の子供が棒の先で革掘をかぞへながら、ふし(節)をつけて次の唄をうたう。

ざうりきざうめん 二ざうめん。

仙土から普土から 朝日がわいてくる

二背戸のせどの さいの娘かぢわら

げん五郎虫かちかち

でんはた つけはた とってぬけろ ようぬけろ

と、唄が終ったときに、棒の先でついた草履の持主は、いそいでその草履をはく、

ふたたびこの唄をくりかへして、また次の子がその草履をはく、何べんもこれをくりかへして、最後にのこった草履の持主が、鬼となるのだ。

 鬼になった子供は、小指の先を口にふくみ、くすり指で目をつりあげ、中指と人さし指で角(ツノ)をこしらへて、恐い顔をすると、一同がわあー----とさけんで、先をあらそって逃げてゆく、鬼があとから追いかける、といふ遊戯を行っている。

仙土は高い山、普土はひくい山、背戸は裏のことで、さいは刀鍛冶や武器をつくる者のこといい、道祖神様のことを「さい・賽」の神とも云う。

源五郎虫の「かぢわら」は虫の中でもいやな虫である。朝日のわいてくる東の麓の、「さい」の娘は何か魔性がついているいる。この娘が何事をかして、田や畑を荒らされるから、届けて置いた草履(ゾウリ)をとって、早く逃げて来いというような意味に解せれる。

民 話

​〈武士と村娘と怪物の話〉

明見湖のほとりに響き岩という岩盤がある。その岩の上へ新らしい女の草履が数足ならんでいる。赤、青、緑、樺(カバ)、紫、桃色、みんな違つた色の鼻緒がすがって、葦、茅のみだれた荒涼たる湖畔へ、あでやかな優しい情景をただよわせている。

ここへ村の者が大勢で、数人の若い娘をつれて来て、岩の前の広場へ集まり、数人の娘を前列にして、男たちはその後ろへ並んで待期の姿勢となった。男衆の中から一人の年よりが出てきて、岩の上へ並べてあった、新らしい草履をかかえて持って来て、娘た名の前へならべると、娘たちは懐から赤や青や黄色の色紙を出して、白分のもっている色紙と同じ色の鼻緒のついた、草履を履いて嬉しそうに、そして安心したような顔をして、胸をなでおろしている。

娘の中のひとり……水色の色紙をもつた娘が、白分のもった色の草履が見あたらず、他の娘のはく草履を慌てて追いまわしていたが、自分のもつている色紙の色の鼻緒の草履はなく、裸足しのまゝ水色の紙をにぎって、まん中に取り残されるや、娘はサットと顔色がかわり、ブルブルふるえて、「ワア----」とその場に泣き崩れた。

娘の父親が群衆の中から飛び出して来て、娘の体を抱き起こし、手拭いで埃と涙を拭きやり、「これ、もっともだ、もっともだ、だが我慢してくれ。何事も前世からの約束事だ。----村や村の衆のためになるのだから、我慢してお役に立ってくれろ、お前に当たったのは、名誉のことだ。何事も諦めて辛抱してくれ、心残さずお約にたってくれ、泣くな、泣くな、村のためだ、なっ、なっ、我慢しろ、頼むよ~~」

 と娘をヒシと抱きしめながら涙を拭いてやる。

娘は血走った目で父親の顔を見上げ、

「とっつあま(父さん)、村の衆のためなら、わし、どこへでも行きますよ」と立派には云ったが、魘(うな)されたように、戦慄(わなな)いている。父親は懐中からお守りを出して、娘の手ににぎらせ、「こりゃあな、氏神様のお守りさまだ、これさえ体につけて居りやあ、どんな所へ行ってもおっかない事はねえだから、肌身離さずつけて居ろよ……」

となだめ励ます。娘にお守り様を見つめて、やゝ安心したような顔つきとなったので,父親は一同の人々に向かい、

「みんなの衆~、娘は得心してお役を務めますから、どうか仕度をさせてくだせ~」という。村の男衆の持ってきた箱の中から、新しい衣装を取り出すと、女たちも手伝って着物を着せ替えた。白装束に緋の袴、髪をおすべからしに結んで、娘は神前へ詣でる巫女の姿となった。

神主が榊の小枝に紙垂(シデ)をつけたお玉串を捧げて祝詞を唱えながら恭(ウヤウヤ)しく禊の祓いを済ませて、いざ出立と合図をすると、岸辺に繋いであった小船の方へ、みんなで送って、巫女姿の娘を送り出そうとした。

そこへ通りかかって、最善からの様子を終始眺めていた一人の武士、髪は巻元締めにして、武者草履の甲斐々々しい旅姿で、弓を抱えた若い武士(サムライ)が、ツカツカと寄って来て、村の者の方をたたき、「何事であるか」と尋ねた。村人達は若い武士の顔を眺めて、ためらっていたが、中で長老が出てきて、「実はこういう訳でございます」と前置きをしながら事情を詳しく話した。

----この村の東にあたる山の中に、年を経た神通自在の荒神様が住んで居られるので・毎年夏の七夕の日に、供物捧げる事となっています。酒一樽・餅4斗、海の魚と川の魚、新しい野菜と新しい果物、若い生娘を一人添えて、献上することに定められている。これを怠ると大変なことになる。山鳴り震動して風を起こし雨を降らし、大嵐となって田畑を荒らし、人畜に損害をあたえるなど、思いがけない異変が続発する。これが恐ろしいので、毎年この行事を続けているのだが、御供物はなんとでも調達できるが、捧げられた若い娘は返して下さらないから、年頃の娘達は毎年心配して、お召し預かった娘は村のために、この様な悲しい別れをするのだという----。

若い武士はこの話を聞くと、目を輝かして、

「わしがこの娘を送ってあげよう。そして相手を見届けて参ろう」と云った。周囲の人々は驚き、みんなで引き止めた。

「心配するな。わしには自身がある。実は昨夜泊まった近村の農家でこの話を聞いたので、わざわざたずねてまいったのぢゃ」

 というので、一同改めて武士の姿を見直すと、筋骨たくましく、凛々しい顔をしているので、

「それではお願い申し上げましょう」

 武士は娘とともに、船に乗り込んだ。武士が櫂をとって小船を操り、湖水の中ほどまできた時、突然晴れていた空が掻き曇り、暗闇となり、風も強く吹き出した。武士は目を凝らして、微かに見える東の山を、キッと見つめると、中腹の森の中から、真っ黒の雲が、モクモク沸いて出る。その雲の中に、キラッと金色に光るものがあって、水面を波立たせながら木の葉も撒き散らしながら、小船めがけて押し寄せてくる。

 若い武士は、少しも物怖じせずに、櫂を置き、自慢の強弓を握り、鷹の羽の矢を番えて、満月のように引き絞り、

「恐敵々々々々々々----箱根権現、石松八幡神社を始め奉り、日本六十余州の神々、われに加護あらしめ給え、悪魔退散、悪魔退散」

と心の中に念じ、狙いを定めて、いっきに矢を放った。矢は暗闇を走り、光を放す怪物に命中した。金色の玉は微塵と砕け飛び散り、

「ガラガラ、ガラガラ、ゴオ~ン、ゴオ~ン」と、耳を劈(ツンザ)く雷鳴が響き渡り、周囲には「光物」が散乱し、その中のひとつが、グーンとうなり聲を響かせて飛んできて、舟の横腹ヘガーンとあたった。

「アツアアアア----」と思った瞬間船は転覆し、武士と娘は水中の投げ出された。

周囲の黒雲は消え、波も静まり、激しい風も治まり、眩いばかりの晴れ間が広がった。

湖畔で見守っていた村人が、事態を心配していると、物の怪を退治した若者が娘を小脇に浜の方へ泳いでくる。村人は歓声を挙げながら、迎えの小船を差し向けた。武士と娘を小舟へ引きあげて.岸辺へつれてきた。

岸に引き上げて見ると、若い武士は手傷は無く、元気そのものであったが、娘は哀れ。若者や村人は必死に介抱したが、娘は二度と目を開くことは無かった。娘の父親は死骸に取り縋って悲しんだ。

「この湖水の真ん中は底が深く、周囲は水は浅く泥が深い。昔からこの海へ入った者は、一人も助かった者は居ない。娘はもともと村のために捧げた命だから、死んでも本望でござりましょう。それにしてもお武家さまはよくまあご無事でこられましたな~」

 武士は、

「船が覆って、水に投げ出された時に、直ぐに娘を抱えて泳ぎだしたが、不思議な力が我らの体を、底へ底へと引き込もうとする。」そのたびに娘の体が「うき」のようになって、私の体を引きあげてくれるような気がしたが、今にして思えば、死んだ娘の魂が「うき」となって、溺れそうになった白分を導いてくれたものと考へられる。思わぬところで恩義にあづかり、感謝の外はない----」。

と娘の亡がらにむかつて手を合わせた。娘の残し置いた水色の紙に、一首の和歌がのこしてあったので、武士は村の者から受け取って読んで見ると、

ちぎり置きし露ははかなく消ゆるとも蓮のうてなに、かほりのこさん 

と書いてあった。あはれ薄命のこの娘は、すでに前夜からこうなることを覚悟していたのだったのかと、いまさら一同の眼をしばたたかせた。

何はともあれ、物の怪を退散させて、村の難儀を除いて下さった、武士にお礼をしなければと、村人一同はお連れ申して、出来る限りのもてなしをした。村人は武士に、荒神様の祟りを恐れ、武士に、「しばらく村に留まっていただきたい」と懇願して、武士も快諾して村に留まることにした。これを機会に村の悪習「人身御供」は無くなったという。村人は感謝の念をこめて武士を尊敬しながら暮らした。

あるとき武士は村人に「これまで犠牲になった娘たちの霊を慰めるために、湖水の浅瀬に「蓮の花」をたくさん植えることを提案した。

村人は「今まで気がつかなかった。村のために犠牲になった娘たちのために、おっしゃる通り、蓮を植えて霊を慰めよう。」と総出で植えつけた。

やがて時が過ぎ、蓮の花は湖水の水面を覆い尽くすようになった。その花の美しさは、多くの娘たちの笑顔のようで咲き誇っていた。また蓮の花の香ばしい香りは近辺の村々へも漂い、多くの人が訪れるようになった。

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